三つ首白鳥亭

−カーリキリト−

日常からの転移

やっと六限目の授業が終わって、俺は伸びをした。

「大谷ぃ、よく寝ていたな」
「関口」

俺、大谷秋人は寄ってきた悪友の顔を見て言った。

「だって小長井の喋りってのんびりしていて、つい眠くなるんだよ」

とっとと荷物を集める。いつの間にかクラスの先生がきていて何か言ってた。たいした事じゃなさそうなんで無視する。

「これから部活か?」
「ああ。さぼると部長が家に電話かけてくるから」
「帰宅部はいぃぞぉ」
「だろうな。うらやましいよ」

先生が礼をして教室から出て行った。俺もリュックを片手に教室を出る。靴を履き替えて自転車のチェーンをはずす。高校生になって二ヶ月、もうすっかり慣れた。

(やれやれ。今まで寝てたからなんだかふわふわしている気がする)

自転車で十五分の家へ走らせる。もう初夏らしく日差しは強かったが、風は涼しかった。今まで60日、120回走らせてる道なんで迷いもしない。

(ずいぶん慣れたな、高校にも)

苦労して入学した高校の感想はちょっとがっかり、だった。入った当時は新鮮だった事がすっかり色あせて見える。別に何もかも変わって欲しいわけじゃないけど、もう少し変化が欲しい。

「何か面白い事起きないかな」

そんな事ありっこないと分かっていても、俺はそうぼんやりとつぶやいた。

その言葉がどんな力を持っているか、考えもせずに。

かっきり十五分で住んでいるマンションまで着いた。俺の家のある三階までえっちらおっちら上がる。

(ぱあっと何か起きないかな。宝くじ当たるとか、学校で何かあるとか)

かちゃかちゃとポケットの中の鍵を取り出して鍵穴に入れた。俺の家は共働きだし、姉貴は東京の大学へ下宿しているから家には今誰もいないはずだ。

ドアを開ける。

その瞬間、俺の目に何かが爆発したみたいに様々な物が入ってきた。草一本生えてない険しい山。立派なお城とそれを見上げている子供。川辺でテントを張っているスナフキンみたいな奴。噴水の縁に腰かけて琵琶を弾いている青い服の女。それらが一斉に視野に飛び込んできた。

秋人

その映像の向こうで何かが俺を呼んだ。ずっとずっと待っていたかのようにその声は震えていた。

大谷秋人

誰だ。

俺は言おうとしたが、なぜか声が出ない。耳鳴りががんがんして、ぎゅっと目をつぶってもフラッシュバックみたいにばらばらの光景が映る。

何だよ。これはいったい、何なんだ!

ばちん!

とんでもないショックが来て俺は息ができなくなった。ばっと大陸が見えて−横長の大地があって、上下に大きな島がある。見た事のない世界が脳に焼きついて…

次の瞬間、全てが消えた。

「…なんだよ」

やっと出した声はがらがらだった。俺はいつの間にかうずくまってたらしい。耳鳴りががんがんして吐き気がする。

俺は立とうとし、壁に手を着こうとして…すっぽ抜けた。壁がない。

「!?」

俺は偏頭痛がする頭を振って、ゆっくり周りを見渡した。妙に薄暗い。カーテンがかかってたってここまで暗くはない。

「え」

少しずつ目が慣れて、辺りが見えるようになった。

「ええ?」

立ちくらみに負けず、俺は棒立ちになる。

「えええっ!?」

周りは見慣れた俺のマンションじゃなかった。白っぽいフローリングの床も、気分がめいる灰色のカーテンも、3人家族には大きすぎるテーブルもない。その代わり森が、深緑の葉とがっしりした幹の木ばっかりの森がそこにあった。

「何だよ、これ。真昼間から夢でも見てるのか?」

立っている所は真っ黒の石の床だった。俺のかばんが近くに転がっている。手で触ってみる。すべすべしていて冷たい。

「!」

俺は耳を澄ませた。がさがさ、前から音が聞こえる。俺は全身が固まった。「だ…」声はかすれた。誰だと大声で言うはずだったのに。

がさりとしげみを突き破って、何かが出てきた。俺には何十秒もかかったみたいに思えたが、もう少し短い時間だったのだろう。

出てきたのは男だった。俺と同じくらいの年の奴だったが、服が変だった。白いシャツと長ズボンで黒いマントをうえに羽織っている。まるでRPGの主人公みたいだ。あっけに取られたみたいに俺を見ている。

「誰だ? こんな所で何やってるんだ?」

こっちが変なもののように俺に質問してきた。それは俺が聞きたい。

「お前こそなんだよ。変な格好して」
「変?」

男は顔をしかめて自分の腕や足をぱっぱっと見た。マントがめくれて腰に…

「剣!」

俺は縮みあがって驚いた。こいつ、腰に剣を差してる!1メートルくらいの、よくゲームにあるようなものよりもそれは重そうで無骨だった。

俺の当然の反応に男は困惑したように顔をしかめた。

「お…」

男が口を開きかけた、その寸前、

「お取り込み中、ちょっといい?」

ボーイソプラノが響いた。男が後ろを向くと、いつの間にそこに誰か立っていた。中性的な顔立ちに金髪、碧眼、青っぽいシャツとズボンで、男と同じように腰に武器―確かあれって、レイピアって奴だよな―を下げて、そして、髪から見える耳の先はとがっていて、背中にはトンボみたいな透明な羽があった。

「うわぁぁ!」

コスプレとかそんなんじゃ、絶対にない。耳は自然だし、羽も俺の悲鳴でひくりと動いた。つまり、本物って事だ!でもまさか。羽が生えてる人間なんているはずがない。2人は俺を奇妙な眼で見た。

「そこの人、何? 妖精がそんなに珍しい?」
「悪いが少し黙ってくれ。俺はこいつに話があるんだ」
「それはこっちも同じだよ。でも、正気には見えないね」
「お、お、おかしいのはそっちだろ! 剣なんか持って、羽生やしていて。何者だ!」

平然と話す2人に俺は怒鳴った。頭がおかしくなりそうだ。家に帰ったはずなのになんでこうなるんだ?

「どこの田舎者だよ、武器見ておびえるなんて。羽生やしちゃいけないのか? いまどきそんな種族差別をするなんて何者なんだ、お前」

男は半分呆れ、半分警戒していった。

「そもそもどこから来たんだ? さっきここに来たときは人の気配はなかったのに、忽然と現れて。おまけに言う事はおかしな事ばかりだし、服装だって変だ。一見普通の人間に見えるが…」
「待って」

妖精のほうが男をさえぎって、俺に近づいた。思わず俺はみがまえる。

「君、名前は」

俺の態度なんて一考にもせず、妖精は柔らかく聞いた。その態度に俺は少し安心して素直につい答える。

「お、じゃなくて秋人・大谷」

一応妖精は外人だろう。俺は姓と名前を逆にした。

「いい名前だね、でアキト、何でここにいるの」
「知らない。家に入ろうとしたらここにいた」

話すうちに俺はだんだん落ち着いていた。少なくともこの妖精みたいな奴も、心は人とあんまり変わらないらしい。

「どこから来たの」
「日坂高校。じゃなくて、県か、国か? 国なら日本、県なら…」

いや、もういいと妖精はさえぎった。

「ふむ。これは…」
「何なんだ?」

考え始めた妖精に男はしびれを切らして、いらだたしげに尋ねた。

「いや、もしかしたら」

妖精は俺の顔をまじまじと見る。妖精の表情がだんだん疑惑から確信に変わった。重々しく俺の肩を叩いた。

「おそらく君は次元移動者だ」
「次元移動者ぁ!?」

反応したのは俺ではなく男だった。

「こいつが?」
「僕も見た事はないけど、奇怪な言動に外見、突然の出現、混乱、その割に言語は完璧。条件はぴったり合っている」
「普通の人間そっくりなのに」
「彼らがみな化け物じみているとは限らないよ」
「あのっ」

なんだか周りばっか盛り上がって、俺が置き去りにされてる。俺は手を上げた。

「何だ、そのジゲンイドウシャって。いったい何が起きたんだ。俺の家は。ここは一体何なんだ。何で俺はこんなところにいるんだ」
「そんな事も知らないのか」

男が呆れていった。まあまあと妖精が再びさえぎる。

「分かった。一から説明するよ。僕の知ってる範囲で、だけど」

「まず、僕はフィル。フェアリーだ」
「フェアリー?」

しょっぱなから知らない単語が出てきた。

「そんな事も知らないの? 後で話す。…そっちは?」

フィルは俺をちらちら珍しそうに見ていた黒マントの男に話を振った。おい、俺はパンダじゃないぞ。

「俺? 俺はイーザー・ハルク」
「人間だよな」

外見は俺と変わらない。せいぜい髪が長いだけだ。でもひょっとして。

「人間だ」

分からないのかとばかりにイーザーって奴は言った。良かった。

「さて、アキト」

フィルが真剣に俺の目を見る。

「今から言う事は僕が知っているわずかな範囲で、穴もある。それからアキトが今まで持っていた常識と大きくかけ離れているところがあるだろうけど我慢して」
「うん」
「よし。じゃあ、言うよ。

この、僕たちが住んでいる現実には無数の世界があって、僕たちはその中のひとつにいるんだ。感覚としては海にポツリポツリ小島が浮いているのに近いかな? とにかく、たくさんの世界がある。でも普段は関わりあったり、触れ合ったりはしない。中にはそのたくさんの世界の事を知ってて、行き合ったり交流したりするところもあるらしいけど、そんなのは例外で、大抵は自分たち以外に世界があるなんて思いもしない。…君の所もそう?」

「う…いいや」

俺は頷きかけて止めた。思いもしてない訳じゃない。別の世界へどうのこうのなんてよく漫画にあるもんな。

「ここじゃない所なんてよく漫画にあるな。でも皆本気で信じていない」

こくりとフィルは頷いて、続けた。

「この世界では違う世界がある事はある程度は認められているし、そのうちの2、3ではごくわずかながら交流もある。でもやはり信じてない者もいるし、ある例外を除いて僕たちは異なる世界を行き来できない」
「はぁ」

俺はなんだか頭が痛くなってきた。そりゃ俺だってこの世のどこかにここではないところがあって、とは考えた事がある。でもそれはあくまで空想で、本当なんて思っていたら即精神病院行き決定だ。

「で、アキトだけど」
「ここに来ようと思って来た訳じゃないだろ」

イーザーが口をはさんできた。

「当然だろう!」

第一そんな事信じてすらいない!

「うん、そういう風に自分の意思とは関係なく来ちゃう人がたまにいるんだ。次元の歪みが関係して、とかで。そういう人たちを僕らは次元移動者って呼んでいるんだ。ちなみに自分の意思で来ている人の事を次元旅行者って言う。で、やっかいな事に」

フィルはここで言葉を切った。なんと言おうか迷っているみたいに。

「アキトは次元旅行の仕方って分かる?」
「分からない」

分かるわけがない。

「そっか、やっぱり」

困ったようにフィルは言った。

「あのね、アキト。さっきも言ったように、ここの世界には次元の移動方法がほとんどない」
「…と、いう事は」

だんだん俺にも分かってきた。

「君、帰れないよ」
「恨むなら雷竜神を恨め」

実にフィルはあっさり言った。イーザーまで追い討ちをかける。

「じじじ、冗談じゃない! 学校はどうするんだ、家はどうするんだ、その雷竜神って何だよ!」

俺は立ち上がってわめいた。混乱して自分でも何言ってるのか分からなくなる。

「雷竜神は」

あらかじめ俺がどう反応するか予想していたみたいにゆっくりフィルは言った。

「禁忌を破るもの、破壊と革命を司る雷の竜。竜たちの中で唯一時を見通し、次元を超えられるもの。異界のものは雷竜神に魅入られてやってくるって聞いている。その祝福のひとつが言語理解だって」
「言語理解?」

そういえば俺こいつとすらすら話してる。あんまり2人がぺらぺら日本語喋れるんで俺もさっぱり気にしてなかったけど。

「で、でも、だったら俺はずっとこんな所にいなくちゃならないのか? やだぜ、高校だってあるんだ。家だってずっと帰らなかったら心配するだろうし・・・な、フィル、何とかして戻る方法ってないのか?」

必死に俺はフィルに詰め寄った。

「そこまでは知らない」
「俺は知ってるかもしれない」

今までほとんど話さなかったイーザーが何か考えながら言った。

「! どういう風にするんだ?」
「アキト・オオタニだったよな? アキト、何か…中年の魔導師風の男を見なかったか? 俺が来るちょっと前とか」

中年の男? 魔導師風かどうかってのはゲームでよくあるみたいにだぼだぼの服を着て、杖もっててひげ生やして、でいいのかな?俺は考えた。

「…よく分かんね」

来てすぐ見たのはこのイーザーだし、来る途中はやたらいっぱいの光景を見たけど、夢を見て、起きたらすぐ忘れるようにほとんど覚えていない。

俺の返事にイーザーは失望したみたいだった。「そうか」と短く答えて何か考え込んでいる。

「なぁイーザー、それってどういう意味だ?」
「俺は今ある召喚術士を追っているんだけど、その男がアキトを呼んだんじゃないかと思ったんだ」
「なるほど、時々あるね。召喚を間違えて手に負えない次元移動者を呼んでしまうって」

フィルが感心したように口を挟んだ。よく分からないが、そんなんで呼ばれてこっちはいい迷惑だ。

「俺はそいつを追ってアキトと出会ったんだから、そいつが鍵を握っているんじゃないかと考えたんだけど、そうか、アキトも分かんないか」

イーザーは困ったように手を組んだ。

「仕方がない。また地道にやるか」
「その事だけどイーザー、僕は君と協力できると思うよ。協力しないか?」

フィルはそう言って、黒っぽい名刺の大きさの板を出して、イーザーに見せた。

「情報屋も独自のルートでその男を追っていたんだ。ちょうどいい」
「情報屋店員だったのか! 道理で。もちろん。それ、乗った。よろしく、フィル」
「交渉成立だね。よろしく、イーザー」

なんだか2人で話が成立している。それはいいんだけど、俺には話の内容がさっぱり分からない。俺はおずおず手を挙げた。

「その情報屋ってなに?」

2人は今思い出したように俺を見た。顔が「何、それ」と言っている。

「アキトは本当に何も知らないんだ」
「そこまで知らないか。先が思いやられる」
「おい、何だよ。もったいぶりやがって」

俺はいらだって言った。

「情報屋ってのは」

どう説明しようかゆっくり考えながらフィルが言い始めた。

「うん、冒険者のための組合(ギルト)みたいなものかな。冒険者や旅人、行商人とか傭兵たちはそこに行って食事と酒、安全で安い宿を手に入れたり、仕事になりそうな情報を買ったり、町や世界の最新情報を聞く。後、馬などの騎乗動物の貸し出し、為替サービスもやっている」

よく分からん。でももう1度やってくれと言うもの癪なんでふぅんと頷いた。

「僕はそこに所属している。そこに持ち込まれた仕事が手付かずで長い間残っていたから、それを解決するために来てみたんだ」
「はぁ」

とにかくイーザーの目的とフィルの仕事が同じだって事は分かった。その召喚士ってのを捕まえれば俺の問題も解決するだろうって事も理解できた。

でも、捕まえられるのか? 召喚士って事は何か魔法を使うんだろう。きっと強いんだろう。イーザーは確かに剣を持っているし、体格も俺よりいい。でも、俺と同年代に見える。さらにフィルはいかにも荒事は苦手そうだった。体付きはほっそりしていて女に見えるくらいだし、優しげな顔は虫も殺せそうにない。持ってるレイピア、使えるのか?

と、イーザーが「アキトはどうする?」とフィルに聞いていた。

「どうしようか」
「連れて行くのも危険だし、かといって放っておくのも、その間に野獣に襲われたらなぁ」

俺はぞくっとした。野獣って熊とか狼とか、いや、ここはファンタジーみたいな世界何だ。竜みたいな化け物がうようよいるだろう。魔法使いか、モンスターか、俺はどっちがましか考えた。

「ここから街まで遠いから連れてはいけない」
「逃げられたら元も子もないものね」

俺は当然だがモンスターとなんて戦えない。としたら戦えそうなこの2人に付いて行った方がまだましだ。

「フィル、イーザー、俺も一緒に付いて行っていいか?」

俺が発言したら2人とも驚いたようにこっちを向いた。なんでそんなに驚くんだろうと俺が不思議に思っていると、フィルがうなずく。

「うん、それがいいだろうね」
「まぁ妥当かな。だったら次は」

イーザーが黒い瞳をかすかに細めた。

「召喚術士がどこにいるか、だよな」
「僕はこの辺りで見かけたって聞いたよ。その辺の山小屋か洞窟に隠れているんじゃないかな」
「手分けして探すか」

イーザーはきびきび言った。

「僕は1人でいい。イーザー、アキトと一緒にいてくれないか?」

イーザーはちらりとこっちを見た。「いいか?」

「うん」

俺は別に反論はない。

「それじゃあ、この辺で落ち合おう」

くるりとフィルは1人で森に入っていった。背中に穴が開いた服かられっきとした羽が見えて、俺は目を回すかと思った。

「じゃあアキト、こっちも行こう。その前に」

ごそごそイーザーは革の荷物袋の中から、30センチはある大きなナイフを取り出した。

「これを貸す」
「あ、どうも、ありがとう」

俺は受け取ったけど、ナイフの使い方なんて分からない。せいぜいカッターで紙を切った事があるくらいだ。

そんな俺の顔を見てイーザーが困ったように言う。

「少なくともお守り代わりにはなるよな」

で、俺たちは隠れ家探しを始めた。

大変だった。今まで俺は知らなかったけど、森というのは暗くて視界が悪い。足元も走ったらすぐ転ぶくらい荒れている。俺は何度もけつまずいて、転びかけた。イーザーはそんな俺を見かねたのか、俺の分まで荷物を持ってくれ、「アキトはおれに付いてくる事を考えろ」と言った。俺はそれを聞いて自分が情けなくなった。

「イーザー、なんでイーザーはその魔法使いを追っているんだ?」

俺は間が持たなくって聞いてみた。

「情報屋から斡旋された仕事。なんでも魔法の道具を持ち逃げしたらしい」

俺のいた所でもよくある犯罪だった。その魔法使いに恨み辛みがあるわけではなく、仕事で追っているらしい。イーザーは周りを慎重に見ながらゆっくり進んだ。俺は付いていくのが精一杯で、探すどころかろくに周りも見なかった。

結局見つけたのはフィルだった。1時間位してから元の所に戻るとフィルが先に待っていた。

「見付けたよ」
「早いな」
「もう? すっげぇ」

俺はフィルを見くびっていた事を心の中で謝った。

「行くか。急がないと逃げられるかもしれない。フィル、そこにいるのは確実なのか?」
「足跡を見つけたよ。新しくはなかったけど、入っていくものしかなかった」
「よし」

2人はさっさと歩き出し、あわてて俺も付いていった。イーザーがちらりと振り向いて俺に呼びかけた。

「アキト」
「何だ?」
「たぶん戦闘になると思うから言っておく。絶対に前に出るな、なるべく隠れていて、いざとなったら逃げろ。1日も走れば人里に出る」俺はうなずいた。
「でも、イーザーは平気なのか? 魔法使いと戦うなんて」

そりゃゲームではよくある事だろうし、剣持っているから使う事もあるんだろうけど… 俺はまだイーザーの言う、戦うという事が分からなかった。俺は16年生きてきたけど、戦いなんて子どものけんかか漫画かゲームでしか知らない。ましてや剣と魔法が飛び交う戦闘なんて全然ぴんと来ない。

イーザーの眉が寄せられた。気分を害したらしい。

「俺は割と強いんだ。1人でやろうとした事が2人になったんだし、負ける事はない」

むきになって言った。やっぱりその顔は俺と同い年に見える。

俺はこっそり息をついた。ちょっと前まで高校にいたのに、今では悪い魔法使いと会うために妖精と黒マントと一緒に歩いている。へんちくりんな夢みたいだった。


初めフィルが迷う事なく行っているのを見て方向感覚がいいんだなと思った。でもよく見ると木や 地面に目印が彫ってあったり置かれたりしている。いい考えだと思ったけど、フィルたちにしてみれば常識なのかもしれない。

「ここ」

小高い丘にしか見えないところをフィルが落ち葉や枝をかき分ける。すると割れ目のような入り口が現れた。

「明かりがいるな」
「あ、俺いい物持っている」

俺はかばんのキーホルダーを取ってスイッチを入れた。日光土産に買った小さなペンシルロケットがぺかっと光る。どうだ、科学の力だ。驚け。

「便利なもの持っているな」
「へえ、面白いね」

と思ったら、2人ともそれだけだった。

「驚かないのか」

がっかりして聞くと「だってそんな道具あるし」とつまらない答えが返ってきた。

「次元移動者は色々な能力があるって聞いているから、その程度じゃ驚かないよ」
「あっそ」
「でもそれじゃ、ちょっと小さすぎるな」

フィル何か口の中で呟いた。すると、前に突き出したフィルの手の上にぼんやり白く光り輝く何かが出現した。

「!!」

俺は目をひん剥いた。これが、あの有名な、

「ま、ま、魔法!?」
「何、そんなに驚いてるの」

フィルは平然として俺を見た。「今アキトがやった事と同じ事をやっただけだよ」

「だって、魔法なんて初めて見た」
「見た事がないの?」
「当然だろ。魔法なんてある訳ない」
「もしかしてアキトの世界には魔法はないの?」
「当たり前だ」

へぇ、と2人は感心した。

「それは不便だな」
「そんなのでどうやって生きてくの?」

俺は考え方を変える事にした。これくらいで驚いてはいけないらしい。とりあえずここは無理にでも開き直って受け入れて、あとでじっくり考えよう。理性と常識は心の棚にしまっていたほうがよさそうだ。

まず、洞窟にフィルが入った。

「次、アキトが入れ」

イーザーがフィルの背をじっと見ながら言う。「なんでだ?」俺は聞いた。

「隊列では中央が安全だからだ。先頭は当たり前だが危ない。かといって最後尾もバックアタックが怖い。だから俺が最後に行く」
「イーザーが?」
「アキトがやるよりはいいだろ」

なんだか馬鹿にされたみたいで俺は面白くなかったが、おとなしくフィルの次に入った。

洞窟は思ったよりもずっと暗い。魔法の光を持っているのは先頭のフィルなので俺にはほとんど届かなかった。俺はペンライトの無力さをしみじみ感じた。こんなのローソク程度にしかならない。

なのに前後の2人は暗さなんてちっとも気にしないように歩いていた。おっかなびっくりつまずかないように歩いている俺は、なんだか連行されている犯人の気分になってきた。

「なんでそんなに速いんだ?」

たまりかねて俺は尋ねた。

「アキト、これでも相当遅いんだが」

イーザーのあきれた声が返ってきた。

「フィルは前を警戒しながら慎重に歩いているんだ。これで速いんだったらアキト、お前は暗闇に慣れてなさ過ぎている」

悪かったな。日本の夜は深夜0時でも明るいんだよ。

「イーザー、静かにしてくれ。そんなんじゃ聞こえるものも聞こえない」

フィルがぼやいた。それでぴたりと洞窟内が静かになる。ようやくこの明るさにも慣れたらしく、速いと思っていた歩みがやけに遅く感じられた。

洞窟がこんなに寒く、こんなに静かで暗いなんて知らなかった。息使いや心臓の音まで聞こえてきそうだ。俺は今まで一度も経験した事のない静寂に落ち着かなくなった。きっとこの世界には俺の知らない事がもっとあるんだろうな。うんざりしたが、同時に少しわくわくした。

いけね、と俺は首を振った。そんな事考えてる場合じゃなかった。今考えなくてはいけないのはこれからの事だ。この奥には召喚士がいて、戦いになるって言ってたよな。戦いっと言ってもまだぴんと来ない。でも俺は絶対役に立たないだろう。いや、現代人の知恵という奴で、思わず俺が大活躍するかも。

フィルはぴたりと立ち止まった。考え事をしていた俺は止まりきれずにフィルの背中にぶつかる。羽の感触が妙に生々しかった。

「フィル、どうした」
「見つけた」

フィルの声は重く沈んでいた。俺は気にしないでフィルの肩越しから覗き込んだ。

フィルの足元に割れ目のような穴が開いていて、光はその奥の崩れた死体をぼんやり映し出していた。


吐き気が止まらなかった。口元を押さえて出口まで走った気がするし、後ろから誰かに呼びかけられた気がする。あんまり暗いから何回も転んだかもしれない。でも俺にはそんな事どうでもよかった。ただただ明るい日の下へ出たかった。

―気が付くと、俺は洞窟の外でげほげほせきこんでいた。誰かが背中をさすっている。のどに熱いものがこみ上げて、吐き気が止まらないのに何も出てこない。

「おい、大丈夫か? これを飲め」

誰かの声が聞こえてくる。巾着袋のようなものが差し出された。のろのろとそれを手に取る。皮製の袋で、中に水が入っていた。1口含んで、とたんにむせてせき込む。

「ゆっくり飲め」

誰かのアドバイスに従って、少しずつ、少しずつ口に含んでのどに流し込んだ。熱が消えていくようで気持ちがいい。

吐き気は止まらなかったが、それでも何とか顔を上げる事は出来るようになった。やけに視界がぼやける…と思ったら、俺の目に涙があふれていた。目をこするとイーザーがそこにいた。心配そうにこっちを見てる。

「気分はよくなったか? しばらくじっとしてろ」
「…ああ」

声はがらがらだった。突然身体があちこち痛み出す。あちこち擦り傷だらけだった。

「今見たのは思い出すな。忘れろ。初心者にはきつい」

とたんに思い出しそうになって俺は口元を押さえた。忘れろって言われたってほとんど見てないんだから思い出せもしない。ただただ強烈な印象だけがある。

「イーザー、アキトは?」

遠くからフィルの声が聞こえる。

「何とか落ち着いた。どうだった?」
「服装から魔法使い系、年は分からない。でも手配されている魔法の道具を見つけた。間違いない。追われて逃げ込んで、洞窟の裂け目に落ちたんだろうね」

そうか、とイーザーは木にもたれかかった。

「とすると俺が殺した事になるのか。俺が追っていたんだからな」
「その言い方は感心しないな。あの男の不注意が男を殺したんだ」

そういって、フィルは俺に近づいた。俺が思っていたより遠くにいたのではなかったらしい。

「具合は?」
「悪い」

たとえ強がりでもいいとは言えない。

「洞窟内で良かったよ。臭いもないし明かりも弱かった」

フィルが慰めるように言った。とても俺は同意する気がしない。よかった? あれで? 俺は当分悪夢にうなされるぞ、あれは。そんな俺の気も知らず、フィルは何かをためらうように視線をさまよわせた。

「ところでアキト、これからどうするの? 帰る手段がなくなったよ」

そうだった。フィルとイーザーの問題は解決したけど、俺はまだこのまま。

「どう…すればいいんだ?」

何にも考えられずに俺はよろよろ立ち上がった。フィルがそれを待っていたようにうなずく。

「よかったら我が情報屋が協力しようか? 情報屋は世界中に存在している。アキトを元の世界に送り返せる召喚士もすぐに見つかるよ」
「本当か?」
「もちろん。ただと言うわけには行かないけど」

フィルは冗談ぽく笑った。

「アキトからお金は取れないよね。アキトの世界の話を少ししてくれたら、それでいいよ。どう?」

1も2もない。俺はこくこくうなずいた。

「よし、交渉成立だ」

フィルはにっこり笑う。

「?」

俺は首をかしげた。いまのフィルの微笑みに何かを感じたからだ。あんまりにも少しで気のせいかと思ったが、やっぱり違う。ふとイーザーを見ると何か考え込んでいるみたいにフィルを睨みつけていた。

帰りは大変だった。ちゃんとした街に出るまで半日は歩き、足がぱんぱんになった。薄暗くなってきて、置いていかれるかと危機感を本格的に抱いたとき、やっと道らしきところに出た。

驚いた事に、俺がひいひい言っているのにフィルとイーザーはけろりとしていた。その事について聞いてみたら、

「半日歩いただけで疲れるか」

イーザーからえらく冷たい返事が返ってきた。フィルが笑って付け加える。

「歩く以外の交通手段はお金がかかるし、決まった道しか通らないのも多いから、どうしても歩かざるをえないからね。どうしても慣れてしまう」

俺は納得して合鎚を打ったが、同時に違和感を感じた。

2人とも変だった。イーザーは無言になって、俺やフィルとも顔を合わせようともしない。フィルは変化なしでにこにこしてるが、時折イーザーのほうに顔をを向けてしかめる。些細と言えば些細な出来事だけど、どうも落ち着かない。しまいには俺まで無口になって、ただ黙々と歩くだけになった。

何だろう。イーザーはフィルの「情報屋に来ないか?」以来ずっとこうだった。あの時何かまずい事があってイーザーがむっとしているんだろうか。でもいくら考えても分からない。第一、フィルの話はいい事ずくめだったし、イーザーには全然関係ないはずだった。

さっぱり分からず、首をかしげている間にまばらに人家が見えてきた。俺はなんとなく、大きい塀があってその中だけにヨーロッパ風の家があるもんだと思っていたからびっくりした。その事については、

「そういう地域もある」

素っ気ないながらもイーザーが言った。

だんだん人家や店が増えていく、と思っていたらあっという間に大混雑になった。もう日が暮れかけているせいか人はほとんどいない。街灯みたいに明かりがあると思っていたら洞窟でフィルが出したものと同じような魔法の光だった。

でも俺は自分の考えに夢中になっていたので、そんな事にはろくすっぽ注意を払わなかった。いきなり態度が変わったイーザー、フィルの提案。

と、フィルがある石造りの建物の扉を開けた。中は学食みたいなところだった。カウンターが入り口近くにあって、テーブルと椅子があって、さまざまな人たち―人間でないのもいて、俺は悲鳴をあげそうになった―が飲み食いしている。奥に2階への階段があった。ここが情報屋って所かな。フィルがカウンターに近づいてカードを見せる。

「フィルです。例の件終わりました」
「お疲れ様です。では、」
「その前に大事な話があります。店長を出してください」

フィルが真面目そうな顔でそんな事を言い出した。変に緊張している様でもあるように顔はこわばっている。フィルは俺のほうを見てにこりと笑っていった。

「アキトは疲れた?」

正直、もう一歩も歩きたくないほど疲れていた。素直にそういうとフィルは1つ頷いた。

「だろうと思った。僕はここの店長と話しをしなくちゃいけないんだけど、長引くと思うから休んでいたらどうかな。今、部屋を用意する」

受付にフィルが言った。

「彼は次元移動者だ。彼のために部屋を1つ用意してやってくれ」
「えっ」

受付は信じられない物でも見るように俺を見た。そして震える声で「はい」と答え、立ち上がって案内する。俺は何も考えずに付いていこうとした。

「じゃあな、アキト。もう会う事もないが、これからも元気でな」

硬いイーザーの声がして、俺は思わず振り返った。イーザーは怒っているかのように俺を見ていた。顔がいらだたしそうに、もどかしそうにしかめている。

「イーザー!」

フィルが怒ったようにイーザーをたしなめた。それでもイーザーは冷ややかにフィルを睨む。

あっけに取られながら、俺はその場を立ち去った。

案内された所は食堂とは反対側にあった6畳くらいで机と椅子、ベットがある。受付がどこかに言ってしまうと俺はドアを閉めて迷う事なくベットに倒れた。そのまま寝てもおかしくないほど俺は疲れていたけど、興奮していたのかちっとも眠くならない。何よりイーザーの最後の一言が気にかかった。

「もう会う事もないが、これからも元気でな? 何だろう、何が言いたかったんだろう」

俺は誰に言うともなく呟いた。他にも気になる事はいっぱいある。いきなりこんなところに来て、今までの常識ひっくり返る事があって、魔法見て、死体見て。

「うっ」

気分がいきなり悪くなった。あわててその事は忘れて、別の事考える。帰る時のフィルとイーザー、最後の言葉。

考え込んでいるうちにやっと俺は眠くなってきた。うとうとしながらぼんやり今までの事を思い返して…

「!」

いきなりとんでもない考えが浮かんで、俺は飛び起きた。全身から冷や汗がどっと出てきて身体が震える。

前に友人から貸してもらった漫画で、超能力者が出てくるのがあった。そこでは超能力者は危険だからって、政府に捕まって殺されていた。

確かフィルは、俺がペンライトを出した時に言っていた。

「次元移動者は色々な力があるって聞いているから」

だからフィルは俺をだましてここに連れてきて、こ、殺そうとしているんじゃないか?

まさか、と俺は思った。フィルは今まで親切にしてくれた。どうしてそんな事俺は思うんだ? でも、ここに来てからのフィルや、情報屋へと言ったフィルは…

俺は居ても立ってもいられなくなって立ち上がった。頭が混乱する。どうしていいのか分からない。俺はとりあえず部屋の外に出る事にした。フィルはここの店長と会うって言ってたよな。その話をこっそり聞いてみよう。

ドアを開けた。思ったより重い。すると、誰かがそこにいた。俺はびくっと震える。明かりが少ないからよく分からないけど、ひょっとして。

「フィ、フィルか?」
「違う」

イーザーの声が返ってきた。安心する。俺は思い切って尋ねた。

「イーザー、俺がこれからどうなるのか知っているのか? 俺は殺されるのか?」
「違う。何だ、そう考えたのか」

イーザーはブーツの足音を響かせて近寄ってきた。

「今、アキトについてフィルと情報屋店長が話し合ってるよ。でも結果は俺にだって分かる。アキトはこれから情報屋本部に連れて行かれて、洗いざらい知ってる知識をはかされる。そしてもう得るものがないと判断されたときには元の世界へ戻す努力が始まる。ざっと10年20年はこの世界にいる事になるな。ひょっとしたら死ぬまでかもしれない」

俺は絶句した。イーザーは畳み掛けるように言う。

「アキト、自分の価値が分かってるのか? アキトはこ事は違う世界の知識を持っているんだ。その知識を欲しがる奴がどれだけいると思う? アキトは存在自体が世界に1つしかないかも知れない貴重な人材なんだ。それなのにあんなにのんきにして、じれったかったぞ」

そうか、それでイーザーはあんなにもどかしそうだったんだ。

「フィルは、俺をだましたのか」

呆然と俺はしていた。

「それは間違っている。フィルは情報屋店員なんだ。アキトより情報屋のほうを考えなくちゃいけない立場にあるんだ。悔しいかもしれないけど、フィルを恨むのは間違っている。それで、どうするんだ、アキト」

思いがけない事を質問されて、俺は一瞬訳が分からなくなった。

「どうって」

このままだと10年以上ここにいる事になる。

「いやだ!」

俺は目が覚めたように叫んだ。イーザーが「声が大きいっ」と慌てたが、そんな事どうだっていい。

「冗談じゃない、10年以上、もしかしたら死ぬまでずっと? 俺はいやだ、1人でも、その…召喚士ってのを見つけて日本に帰る!」

俺は部屋に戻って荷物をつかんで、廊下を行こうとした。

「よせ」

イーザーが止める。

「止めるな、イーザー。俺は本気だ。どいてくれ」

とはいえ、俺はいざ戦いになったらどうしようと思案した。素手の俺と剣持ったイーザーじゃ比べ物にならないだろう。

と、イーザーは思いがけない行動にでた。やっと目が暗さに慣れた俺の前で、にっとイーザーは笑った。初めて見るイーザーの笑い顔はいたずらっ子みたいに子どもっぽかった。

「止めないよ。俺は情報屋店員じゃないんだ、俺の動きたいように動く。これも何かの縁だ。アキト、一緒に行こうぜ」

えっ? 俺は驚く。

「な、なんで!?」
「いいだろ、別に理由なんか。でもアキトだって俺と一緒の方がいいだろ。大体アキト、どうやってここから逃げる気だったんだ?」
「それは、考えてない」
「ほら。俺がいた方がいいだろ」
「…うん、確かに」

でも、とても信じられなかった。てきぱきイーザーの指示で裏口から出て、夜の街を走る。「船で下流に下るか。ちょっと遠くまで行けば平気だろう」と、川で一隻の舟を雇っている事も、なんだか現実離れしていた。

「なぁ、イーザー」

舟で落ち着いてから、夢の中にいる気持ちで、俺は改めて聞いた。

「本当に何でだ? 俺とは何の関係もないのにそんなに協力してくれるんだ?」
「そう、だな。そんなはぜしい世間知らずを放ってはおけないし、アキトはいい奴だし、自分で意思を持って動こうとしているんだからぜひ協力したい。俺は武者修行の途中で特に目的地を持ってないから、アキトの偉い召喚士探しに協力できる。それに、アキトのいる世界にもちょっと興味があるしな。なんて名の、どんな世界だ?」
「えっ、それは地球って言って」

俺はそこで、こっちもこの世界の事をほとんど知らないのに気がついた。

「そういや、ここの世界は? なんて名前で呼ばれているんだ?」
「カーリキリト」

イーザーは自慢するように言った。

「欠点もあるが、美しい世界だ。アキトには気に入ってほしい」

それがあまりにも誇らしげで。俺は思わず力が抜けて座り込んだ。

「カーリキリト」

そっと口にしてみる。今までの疲れがどっと出てきて俺は目をつぶった。


「えっ!?」

俺ははっとして身体を起こした。ひんやりとした白い壁と床。ようやく見慣れた場所。

「俺の家。何でだよ、夢だったのか」

フィルやイーザー、暗い森に寒い洞窟。あれは一体何だったんだろう。

(夢じゃない)
「へっ?」

いきなり耳元で声がした。周りを見る。誰もいない。

(身体中に打ち身と擦り傷があるだろう。おまえには信じがたいが、れっきとした現実だ)

そういえば身体のあちこちが痛い。でも、そんな。

「…幻聴が聞こえる」
(違う。夢幻でもないし、おまえが馬鹿になった訳でもない。おまえの常識にはそぐわないが、現実だ)
「だ、誰だよ、あんたは! 何で俺に話しかけるんだよ!」

そこまで言って俺は気づいた。

「ひょっとして、今、俺をあっちの世界に送ったのもあんたか?」
(あまり気にするな。これからおまえの元には理性と常識を何回も覆すような現象が起きる。何があってもおおらかに構えてろ)

そして、ぽつりと聞こえた。

(私はおまえの味方だ、秋人)

それっきり、声は聞こえなくなった。

俺は呆然として立ちすくんでいた。