三つ首白鳥亭

 

後夜祭

あなたはおはしょりを引っ張る。あなたは崩れた帯をリボン型に整える。あなたは背縫いを引いて衣紋を抜きなおす。鏡の前のあなたはきちんと浴衣を着ている。

「こんなものかな」

あなたは鏡を見て安心する。

あなたの名前は似鳥範美。あなたは日坂高校に通っている。あなたは17歳、2年生だ。あなたは茶道部に所属している。

あなたは30分前まではくずれ汗ばんだ浴衣姿だった。あなたは今日1日中走り動きまわっていたから当然だ。左の窓からは山しか見えず、外はもう暗かった。

あなたが着ているのは撫子の浴衣だ。黒の下地に白い線で撫子がうつっている。時々桃色と赤が混ざった撫子の浴衣はあなたが買ったものではない。あなたは自宅に保管されているのを持ち出してきた。あなたは何回も着付けを練習してきた。がんばったかいがあった。あなたの浴衣は他の人に比べてずっとましだ。

昨日と今日は文化祭だった。日坂高校では文化祭の最終日に校庭の中央で火をたいて、仮装した生徒たちがそこに集まる。いつできたかもしれない、なぜするのかも分からない盆踊りのような風習にしかしあなたは乗り気だった。あなたは校庭が暗くてよく見えないことを承知の上で、きちんとした格好をしたかった。

「そうだ、中桐のぶん」

あなたには友だちがいる。中桐典子という女の子だ。中桐は変な子だった。口は悪くいつも禁煙パイポをくわえていて、なぜかは分からないが不機嫌そうな顔をしている。そしてあなたにとってかけがえのない人だ。

中桐は学校の行事は好きではない。ましてや後夜祭に全く参加する意義を見出せずさぼるつもりだった。あなたは辛抱強く説得した。参加の譲歩を引きだし、仮装する気がないことを返上させ、こうして彼女のぶんまで浴衣を家から持ち出した。藍地に桔梗の浴衣をあなたは一緒に着るつもりだ。しかし中桐はまだ来ない。

「どうしたのかな」

あなたは部室の扉を開けて廊下をのぞく。さっきまで生徒や大人でにぎわっていた廊下にはだれもいない。校庭で遠い歓声が聞こえる。あなたは今更ながらに祭りが終わったことを知る。後夜祭が終わったら後はまた普通の学校生活。非現実の日々はおしまい、ありきたりだが平穏な日々があなたを待っている。

「もう、中桐ってば、いやになって帰っちゃったのかな」

あなたはふくれる。でもあなたはそれはないことは分かっている。あなたの知っている中桐は一回口に出して約束したなら守る人だ。

あなたは中桐が部室の近くにいるのではないかと部屋を出る。あなたは人の影を見る。高校生にしては小さすぎる子供の影だ。

「あれ?」

子どもは走り出す、まるであなたから逃げ出すように。あなたは追いかける。あなたに深い意味はなく、目の前から逃げられたから走る。


「待って、そこの子」

子どもは金魚の浴衣を着ていた。白地に赤い金魚の浴衣。ふんわりした赤い帯が崩れかけていて足元に落ちてひきずっている。親の気遣いか
身丈は短く動きやすそうに着せられている。小さな手に大きなうちわを持って楽しそうにぞうりをひきずる。あなたは追いつけない。あなたは足は
遅くないけど2日間の疲れで意外と身体が動かない。

どうしてこんなところに子どもがいるの、あなたは考える。きっと迷子なのだろう。昼間お父さんやお母さんに文化祭につれてきてもらった子ども
がおいてきぼりにされたんだろう。楽しそうだからまだ迷子になっていることに気づいていないのかもしれない。捕まえて、一緒に職員室に行って
、先生に報告しないと。きっとお父さんやお母さんは心配している。

あなたは心に引っかかりを覚える。あなたは赤い浴衣に見覚えがある。今日学校で見かけたわけでもない、でもあなたは柄に心当たりがある。忘れているのだろうかとうなってみてもあなたは思い出せない。子供の浴衣として珍しいものじゃないからとあなたは納得する。

あなたは子どもが階段を下りていく音を聞く。あなたも階段を下りる。階段はほこりの塊がころがって紙くずが散乱している。

あなたは困る。浴衣は裾が長すぎて走りにくい。木綿は足にまとわりついてほこりだらけの床に届きそうになる。いつもの制服ならおこらないできごとにあなたは困る。あなたは思いきってひざあたりの布をつまんで持ちあげる。あなたの期待以上にあなたは動きやすくなった。あなたはこのしぐさがしきたりやしとやかさからではなく実用的な面からできたのを知る。

あなたは小さな背中がC棟へ走っていくのを見る。あなたはしめたと思う。C棟、通称2年生棟は増築によってできた校舎だ。そのせいで渡り廊下と階段が入り組んでいる。その上に文化祭終わりの今は1階には鍵がかかっているはずだ。2年のあなたには勝手知ったる校舎でも部外者にはまるで迷路。あなたの胸に子どもをつかまえられる自信がわいてきた。

階段を下りて渡り廊下に出たらまた上と下への階段がある。あなたは子どもの赤い帯が下り階段のはしに消えるのを見る。あなたは走る。あなたは全力のつもりでも、いつもと違う格好と確実につかまえられるという自信で足が自然に遅くなる。

1階であなたは息切れする。裏山すれすれにある2年生棟は暗い。太陽がきえてあなたはとまどう。

「あれ?」

あなたは子どもを見失う。あなたは子どもを見つけられない。あなたは必ずつかまえられるという確信があったのに。

「えっと、君、どこー?」

あなたはすぐに返事を聞く。あなたは走る音を上から聞く。


「上の階? 嘘、見間違えたのかな」

あなたは首をひねりながらも歩く。あなたは今息切れして疲れている。あなたは上の子どもは走りまわっているようだと思う。あなたはどこかで読んだ記述を思いだす。あなたが読んだ本には大人が子どもと同じように運動すると死んでしまうと書いてあった。あなたには本当かどうか分からないが、それくらい子どもは疲れしらずでよく動く。あなたは世間的にはまだ子どもだが体力は十分に衰えているのを実感する。

あなたはまた歩き出す。鬼ごっこは再開される。あなたは階段をかけあがる。

あなたは体力がない。3階分の階段を登ってまた息を切らす。あなたはひざに手をついて深呼吸する。あなたは汗臭くほこりっぽい空気を吸いこむ。

廊下は祭りの後だった。ダンボールの切れはしは散らばり、誰かが忘れたハンドタオルが捨てられたように落ちてふまれている。あなたは子どもの姿を見失ったまま。あなたはじっと動かない。遠く校庭の声に混ざり2年1組の教室から音がする。

1年は飲食店、2年は迷路かお化け屋敷、3年は寸劇。日坂高校の文化祭出し物の不文律。あなたが物音を聞いたのも2教室を丸々使ったお化け屋敷。

あなたは入るのにすこしためらう。あなたはでも教室のおどろおどろしく塗られたドアが半分開いているのを見つける。あなたは思い切って飛びこむ。

中は暑くて汗臭い。窓は全て黒紙でふさがれているので真っ暗。ダンボールとガムテープで工作した壁は頑丈で、あなたは安心して手をふれられる。

あなたは教室内に自分ではない人の音を聞く。小さい歩幅であちこちを歩いている。あなたは暗闇が怖いのに、その子はそうではないようだ。

あなたは無造作にころがっているマネキンの首にぎょっとする。あなたは教壇とその上の時計に教室らしさを見つけてすこし笑う。あなたはてさぐりで闇の中を歩く。子どもは動かない。珍しい場所を面白がっているようだ。あなたと子どもの距離は縮まっていく。もう少し。

「ねえ、そこの子」

子どもは逃げる。あなたはつかもうとしたが間に合わない。子どもは立ちあがってはねあがるように走りだす。あなたの手にはうちわだけが残る。あなたはどうして子どもが逃げるのか分からずぼんやりしてしまう。子どもは教室と教室とのつなぎ目、リタイア用カーテンをくぐってお化け屋敷を出る。あなたは暗いはずの外がまぶしい。

「待って」

あなたは追う。あなたは転ばないように注意して外へ出る。あなたには走り去っていく子どもの足音が聞こえる。子どもはもときた方へ戻っていくようだ。あなたも走る。

「もう」

あなたはふと手の中のうちわを見る。うちわは古くて骨が見えていた。あなたはうちわに見覚えがある。あなたの自宅近くのスーパーが夏になるたび毎年配っているうちわだ。毎年もらうので夏ごとに増えていく。

あなたはとっぴな可能性を思いつく。あなたは息が詰まる。


あなたは走って追いかける。あなたは結局部室まで戻った。子どもの赤い帯が部室のドアに隠れる。

「あなたは」

あなたに散らばった記憶の影が1本の線を結ぶ。あなたはやっと分かる。子どもに伸ばした手が震える。あなたはつかみたくなかったけど動きは止まらない。あなたは小さな小さな手首をつかむ。

「似鳥」

夕暮れの魔法が破れる。あなたの手は空中をつかむ。あなたはめざめてふりかえる。

女子高生があなたを見ている。視線がきついのはあなたはもう気にならない。規定どおりの制服、唇には禁煙パイポ、そこに立っているのはまぎれもなく中桐典子。あなたは唖然と立ちつくす。開いたドアの前には子どもはいない。

「後夜祭でないの? 部室にいないから帰ろうかと思ったけど、一応その辺を回っていたの。なにやってるの」
「今、子どもが」
「子ども?」

中桐は顔をしかめた。

「なに言っているの。子どもなんていない、こんな時間人がいたら普通気づく、とにかく静かなんだから」

中桐の言っていることは正しい。あなたはそうねとうなずいた。

「あ、後夜祭の浴衣持ってきたよ」
「着ているうちに後夜祭終わるよ。もうおそい時間だ」
「あ」

どんだけ走り回ったのだろう。額も背中も汗だくで、日は落ちて学校は暗い。もう夜が来た。

「あっちゃ。しょうがない、中桐の浴衣姿はあきらめるよ。一緒に行こう」
「よかった、できればもっと早くあきらめてほしかった。」

あなたは憎らしい口をきく友と一緒に廊下を歩く。あなたは廊下を振りかえった。廊下にはだれもいない。あなたは知っている。

赤い浴衣の子ども、あれは確かにあなた。