三つ首白鳥亭

 

6月17日土曜日

けだるい昼過ぎ。

「あ〜、ひまだ」
「ひまだな」

無人の教室に大谷と関口はいた。片方は窓から腕をたらして、もう片方は机に両足を投げ出して。元気あふれるはずの男子高校生だというのにまるで覇気が感じられない。本来の性格か、それとも今日の6月にしては高い温度と湿度がそうさせるのか。

「腹減ったな」
「彼女がほしい」
「お前そればっかりだな」
「ほしいのはほしいんだよ。くっそ、こんなにおしゃれに気を使って身体を鍛えて雑誌を読んで研究しているのに、どうして俺には彼女ができないんだ」

関口は渾身の恨みをこめて大谷をにらんだ。

「大体こんなうっとおしい日に、どうしてお前がそばにいるんだよ」
「俺に言われたって知らん」

おしゃれに気を使ってもいなければ雑誌研究もしていなさそうな大谷は知らん顔であしらった。

「……なー」
「あ、なんだ?」
「なんか俺たち、すっごく殺伐していないか?」
「男同士でしっぽりなれ合ってどうするんだよ、気持ち悪いぞ」
「それもそうか」
「そうだよ」
「ひまだな」
「ひまだよな」

「あ、似鳥先輩」
「あれ、桜木さん?」

渡り廊下の曲がり角で2人の女子高生は出会った。土曜の学校に知り合いがいるとは思っていなかったのだろう、大荷物を抱えた女の子とキャンバスを抱えた女の子は立ちどまる。

「先輩、どうして学校にいるんです?」
「うん、文化祭に向けてみんなで浴衣を着ることになって、今日はその練習」

よく見ると大荷物の中には藍色の木綿浴衣と紅の半幅帯がのぞいていた。

「涼しいうちにと思っていたら、今日に限ってこんなに暑くなっちゃって」
「珍しく晴れましたね」

桜木は額に浮いた汗をぬぐう。昨日まで肌寒かったのに今日はじっとしているだけでも耐えがたい。

「そういう桜木さんは?」
「文化祭に出す絵を描きにきたんです。平日は実行委員でつぶれちゃうので自主的補習です。早く描かないと外の風景なので緑が成長しちゃう」
「そっか。どこも大変ね」
「私は半分自業自得ですけど。もっとがんばればよかったです」
「暑いけどがんばってね」
「はい、先輩こそ」

そして中学からの付き合いの先輩後輩は離れ、それぞれ文化祭のために休日の学校を小走りで急いだ。


寺西麦も吉川文音も汗だくだった。カーテンでさえぎっているとはいえ強烈な日差しがそそぐ部室で窓も開けずにいるのだから当然である。

「今は新聞部にいるのはぼく1人ですが、昔は大勢の部員がいました」

麦は原稿用紙の束をふりまわして主張した。

「いろいろなお店の広告を載せて、それはもう高校の部活動にしておくのが惜しいほどのできでした。なにを隠そうぼくが日坂高校を受けたのも新聞部が目当てです」
「うん、知っている」

その輝かしい過去の記録を読みながら文音はうなずいた。麦が新聞部のために入学したのを吉川含め1年で知らない人はいない。分厚い眼鏡をかけた麦は大統領演説でもしているかのようにますます声高になる。

「そしてぼくは先輩のため高校のため、見事新聞部を再興して盛り上げていくのです。貯金を下ろしてデジカメを買いました。これでばりばり取材して、新聞部に思わず入りたくなるようないい新聞を作るのです。手はじめに日坂高校三大奇人の取材を考えています」

努力するのはいいことだが、がんばる方向が違うのは気のせいか。文音はがんばってねとやる気なくはげました。暑すぎてつっこむ気も起きない。

「で、吉川さんは新聞部員でもないのにどうしてここにいるのですか?」
「うん、いや」

部活が終わって偶然麦とであい、流れるまま一緒に部室にきて帰るタイミングをうしなったのである。こんな所にいないで家に帰ってクーラーつけてねっころがるほうがはるかに幸せなのに、なにをしているのか自分でももう分からない。

「きっと暑さのせいだよ」

文音はやる気なくつっぷした。


氷の入ったグラスに勢いよくコーヒーが注がれた。500ml入りペットボトルのアイスコーヒーだ。もともと加糖であるのにさらにシロップをたっぷり注ぎ、バーテンダーグラスでかき混ぜる。氷とガラスのぶつかる耳障りな音がした。

「キョウは本当にコーヒーであればなんでもいいんだな」

サキはきちんと湯を沸かして濃い紅茶を入れ、やはり氷を惜しみなく入れたグラスに一息についだ。滝のような黒い飲み物はグラスの中で急激に冷やされ涼しげなばら色に移る。熱でとけた氷がくずれおちた。

「そういうなサキ、きょうび食品メーカーはなかなか優秀だ、そんな彼らが日々努力して販売しているコーヒーだ、味はなかなかのものだし第一とても楽だよ。湯を沸かさなくてすむから」
「市販そのものが好きではない。甘さも濃さも同一だ、こっちは日によって飲みたいものが違うのに」
「だからサキは自分で入れるのじゃないか。ぼくはサキの行動を否定した事はない、そうだろう? それなのにサキはいつもぼくを否定するんだな。サキ、ぼくはとても悲しい」
「山のように口出しするんだ、同じようなものだろう」
「そうかね」
「そうだ」

沈黙が降りた。キョウは空を見上げる。図書館の限られた窓は晴天を長方形に切り出している。

「今日は珍しい。よく晴れている。昨日は雨かさもなくば曇りで寒く、サキは珍しく牛乳を持ちこんでロイアルミルクティーを作っていた。今日は梅雨間というやつだね。おそらく明日にはまた半円と三角の梅雨前線でおおわれるだろう。久しぶりの太陽だ、存分に楽しんでおこうじゃないか。

しかし今日は暑い。確かに暦の上では今は夏、6月1日で衣替えなのだからぼくが文句を言うべきじゃないのだがね。日差しは痛く湿度はたっぷり、まったく梅雨は雲の中にたいしたものを隠したものだ。そして時々思い知らせるんだよ」

「なにを思い知らせるんだ?」
「夏だよ、サキ。輝かしい力強いとほうもなく強烈な夏が待ちかまえていることをだよ、サキ」

キョウは甘ったるくて舌が曲がりそうなアイスコーヒーのグラスに口をつけてのみほした。