三つ首白鳥亭

−ユフサラズ−

閉じられた竜の瞳

洞窟の中に竜がいる。

そんな噂を嬉々と教えたのは、日本であわせが住む家のご近所さん、恩多だった。

「小学生の間ですごい噂ですよ」

恩多は小学校の非常勤職員を仕事にしている。あわせとは年が近く、たまに世間話をする。主に話すのは恩多だった。

「竜?」

あわせは疑わしそうに繰り返す。スーパー帰りで手に食いこむ食品が重い。

「いまどき竜なんて、20年前のゲームじゃないんだ」
「噂になっているんだからしかたないです。子どもの間だけ。山の中、今はもう使われていないトンネルの中に竜がいて火を吐き侵入者に襲いかかるって」

恩多はうきうきしていた。

「子どもって面白いですねぇ」
「本気にしていないよな?」
「いや、さすがに。でも面白いじゃないですか。それなのになかなかしゃべれる人いないんですよ。職場だと浮かれていられないし、かといってネットに書きこんでも無視されちゃいますし」
「そりゃそうだろ。どれくらい広まっているんだ?」
「上級生の男の子たちではほぼ全員です。調子のいい子たちなんてトンネルに冒険に行こう、なんて話が出て。はねられちゃ大変だから困ってますよ」
「子どもにはたまらない話だろうな」

どの道あわせにはものすごいひとごとだった。たわいない日常のひとつである。適当に切り上げ、あわせは家に帰った。庭付き二階建ての古い一軒家。あわせひとりには大きすぎる家である。ちなみに訳あり物件でもある。

「ただいまー」

いい加減重い買い物を降ろそうと、やれやれと玄関へ入り。

「どうも」

ないはずの返事に荷物を落とした。

見知らぬ男がいた。ぱりっとしたシャツにしわひとつない紺のズボン。室内なのに革靴も帽子もしっかり身につけている。紅のショールが揺れた。

見かけは少し風変わりな青年だが、足が床から離れふわふわ宙に浮いていた。明らかに普通ではない。

「だ、だ、だれだ!?」
「紅衣無夢。竜の番人。明月あわせに頼みがあってきた」

のんびりした口調だった。

「ユフサラズの竜が日本のどこかにいる。探してくれ」

日本とは違い、ユフサラズには竜がいる。

さすがに人里はなれたところに住んでいるし、そうそう出てこないので襲われないかと心配することもない。それでも巨大な存在であるのは間違いない。

ユフサラズの竜について、あわせは今まで関わりを持たなかったので詳しくは知らなかった。

「ユフサラズに住んでいる竜は多様で、まとめて説明しにくい」

出された緑茶をすすりながら無夢は説明した。靴は脱いだし今はちゃんと床に座っているが、ショールだけはふわふか身体の周りを浮いている。

「いなくなったのは体長1尺、赤い鱗と牙を持ち、火を吐く竜だ。大きくないし生物に無闇に襲いかかるほど凶暴でもないが、強欲だしねぐらに踏みこんだら襲う」
「一般的な竜だな。アナクロだけど」
「ユフサラズでおとなしく財宝の上に寝ていたのだが、気づいたら洞窟内に日本への切れ目ができていて、いなくなっていた」
「よくあるよくある」
「竜を戻さないといけない。でも竜がどこにいるのか分からない」
「切れ目を通った向こう側にはいなかったのか?」
「どこぞの商店街に出た。周りを捜したが全然気配がない。二箇所をつなぐ力が不安定で移動したのだろうと静は言っていた」
「静がか」
「ついでにあわせを紹介したのも静だ。日本とユフサラズのもめごとに強い男がいるって」
「あの猫」

あわせは歯ぎしりをした。そうではあるが。

「もちろん礼は持ってきた」

どこに持っていたのか、無夢は本を机の上に出す。和綴じの本だが、あまり古くはない。文章は手書きだが古語ではない。

「飛行の魔道書だ。魔法も使うんだろう」
「少しだけな」

あわせは立ち上がり、たんすの上からノートパソコンを取りだした。

「どの道、やるさ。そんな危険な生き物そのままにしておけない」

パソコンを起動させてインターネットにつないだ。無夢が不思議そうにのぞきこむ。

「なにをしているんだ?」
「文明の利器に頼る。インターネットを使って情報収集するが。ちぇ、やっぱり」

あわせは宙を仰いだ。

「ゲームと漫画と中世ヨーロッパの伝承ばっかり。探せない。どうしたものか」
「どうしてそんなことをするんだ? 竜が住みそうな洞窟を探せばいいだろ」
「なぜなら、竜はその辺には絶対にいないからだ」
「言い切れるのか」
「この辺は都会で人口密集地帯だ。どんな山奥だろうと人が住んでいて人の目がある。竜が住める訳がない」

あわせは無夢を見もせずに続けた。

「小耳にはさんだ。子どもたちの間で、トンネルに竜が住んでいるそうだ。噂になるんだから目撃されている。噂程度ですんでいるのだから1、2回ぐらいだ。噂の発生源はもっともっと田舎だ。人間2人分の生き物がこっそりできるくらいの」
「噂になっているのか。それはまずい」
「まずい。もう一回恩多に聞きに行こうか。いや、待てよ」

気を取り直してパソコンに向かいなおす。

「やっぱり洞窟に心当たりがある?」
「ないない。もぐらじゃないんだから。確か恩多はインターネットにも書いたって言ってたんだ。都市伝説の掲示板とか投稿サイトを探す」

恩多はマニアではなかった。検索頁の頭に、まんまと竜の噂を見つけた。


翌朝早朝。

「時間がかかったな」
「仕方ないだろ! 俺は万能魔法使いじゃないんだよ!」

印刷された大量の紙を抱えてあわせは怒った。

「結局大したことは分からなかったし、地道に人里離れた、今は使われていないトンネルをひとつひとつ探していたんだよ。車道も、線路も。加えてそれ以外の竜がいる可能性のある場所も探した。使われていないホテルとか工場とか寮とか、とにかく大きな建物は全部」

さらに隣県2県まで捜索の範囲を広げた。該当場所は膨大な数になる。

「竜の気配を感じるとか、そういうことはできないのか?」
「万能ではないんだ」

それくらいできてもいいと思うが、鸚鵡返しにされたのであわせは黙った。

「まず西、それから南、北と探す。レンタカーを借りるぞ。どれくらいかかるんだか」
「どれくらいだ?」
「週単位でかかる気がする」

なにせ行くのは廃線廃路、人里離れた山の中だ。無夢はすごく当たり前のことを聞くように聞いた。

「レンタカー以外で行けばいいと思う」
「どんな?」

徒歩と言われたら怒鳴ろうとあわせは考えた。

「こんな」

無夢が手を差し出すと、ショールが意思を持つようにあわせの腕へまとわりつく。驚くより先に、あわせの身体は体重を失ったようにふわりと浮いた。無夢もついでに浮く。

「まずは西へ」
「おおお、おい、待て! それに人に見られたらどうする、竜並みの騒動になるぞ!」
「問題ない」
「あるあるあるある!」

大騒ぎを無視して、無夢は西へ飛んだ。


反応しなかっただけで、ちゃんと無夢はあわせの話を聞いていた。

電線より高く、だが地面を歩いている人に確実に見える高さで飛んでいるのに、だれも見上げない。

「どういうことだ!」

目を潤ませながらあわせが叫んだ。怖いのではない。確かに車並みの速度で飛ぶのは恐ろしいが、あわせの涙は目が乾いたことによる生理現象である。

「私たちを見ても気にしないようにしておいた」
「魔術か?」
「これは違う」
「便利だな、でもカメラとかビデオにも気をつけろよ!」
「それは気づかなかった。なんとかするよ」

調査はあわせが考えているよりずっと順調だった。地上のありとあらゆる障害物を無視して車よりも速く進めるのだ。だがやはり日帰りにはならず、外で夜を過ごすはめになった。1日目には民宿を取れたものの、次の日にはあわせのかばんから野宿セットを取り出すことになった。食事も店どころか人の気配ない山の中を飛んでいくため、保存食をぼそぼそかむことになった。

「男2人で、しょっぱいな」
「そうか? むしろ味がない」
「比喩だ。気にするな」

無夢は言われた通り気にせずクラッカーをかじった。空を飛び人目をごまかせる、色々人間離れした青年だが、しっかり食事はとるし寝る。そこまで人外ではないらしい。ちなみに無夢の手持ちはなく、当たり前のようにあわせの分から食べていた。

そんな3日目、大きな廃工場の前で2人は足を止めた。

「おおっ」

あわせは嬉しそうに地面を見る。大きな扉の前には、打ち捨てられた新しいシャベルとかすかな足跡があった。昨日今日ではないのだろう。屋根があるから雨に流されていないが、今にも風化して消えそうだった。

「かなり前に人がきたんだ。ここかもな」
「なぜ?」
「噂には火元がないとな。だれかが目撃しないと話題にならない」
「ここで見られたのかもしれないのか」

もちろん扉には鍵がかかっていたが、あわせが開けた。中は暗く、埃のにおいがする。工場にはつきものの機械類はなく、固定されている机や台が長い年月ゆえの厚いほこりをかぶっている。静かだった。あわせは懐中電灯で高い天井を見上げる。

「だれがきたのだろう」
「色々考えられるさ。元の持ち主が定期的に確認するとか、ここを売るにあたり変なことが起きていないが確認とか。最近は廃墟めぐりなんてのが流行しているらしいし、度胸試しに入るなんてのなんて……」

おしゃべりな口が閉じた。耳を澄ませ、目をこらし、廃墟の奥へ明かりを向ける。闇の一部がうごめき、目を開けた。

炎のような鱗、爬虫類ながら憤怒の感情を映す瞳、喉の奥から低いうなり声が聞こえる。心なしか室温が上昇した。

空想の生物であったはずの竜は、窓が震える叫びを上げて、長い首をあわせたちに向けた。口からは燃えさかる火炎が隠されてもいない。

あわせと無夢は、即背中を向けて逃げた。

「な、なんか怒っているぞ!」
「そうだな。嫌なことでもあったのかな」
「逃げてないで、なんとかしろ竜の番人!」
「無理だよ。竜を操れる訳じゃないんだ。怒れる竜に向かうなんて自殺行為だ」
「その称号の意味はなんだー!」

廃工場を飛び出し、森へ逃げこんだ。しばらくしてからそっと様子を見る。恐ろしげなうなり声は聞こえるが、出てくる気配はない。

「困ったな」
「こっちが言いたい! なにがあったんだと思う?」
「危害を加えられたか、宝を盗まれたか。あの竜執念深いからなあ。きらきらしたものが好きで好きで、その恨みは年単位だ。どうしよう」
「きらきらしたものって、カラスかよ。待てよ、となると……」

ふと思いついたようで、あわせは歩き出した。

「おーい、丸焼けになるよ」

無夢は注意するだけはした。あわせは扉近くに落ちていたシャベルを拾う。

「でやっ!」

力一杯工場の中へ投げこんだ。即また逃げて、様子を見る。

「……よし」

しばらくなにもないのを確かめてから、ぐっと手を握った。

「あわせ?」
「見よう」

無夢がそっとのぞきこむと、まるでまたたびの枝にすがりつく猫のように、シャベルにうっとりしている竜がいた。


「多分、なんらかの理由でここにきただれかがシャベルを持ってきた。工場に元々あったのか、その人物が持ちこんだのかは分からない。きっときれいだから持ちこんだんだろうな」
「ふんふん」
「で、竜に会って驚いて逃げる。その時シャベルは持ったままで、出た時に投げ出した。逃げるのに邪魔になるからな。その場で捨てなかったのは、動転でもしていたんだろう。入り口は人間用で竜は出て取りにいけなかった。だから機嫌が悪かった」
「なるほど」

その竜は無夢が呪文で創りあげているユフサラズへの扉へのそのそ潜っている。その辺のホームセンターにて2千円で買えるシャベルを大切そうに持ったまま。機嫌が直れば竜は素直に無夢の言うことを聞いた。

「逃げた人物は、まさか竜がいたなんて思わないだろう。実在しないはずなんだ。でも危険な生物がいたとしゃべるはずだ。噂が発生する。そんなところだろう」

竜が扉を潜り消える。無夢は和綴じの本を手渡した。

「約束のものだ。人に見られないようにな」
「どうも、と。それにしてもユフサラズには竜までいたなんてなあ。話には聞いていたけど、見ると違うな。変なものが売るほどいるな」
「それはそうだ。ユフサラズは、そのような街なんだから」
「まったくだ」

深く考えずにうなずき、あわせは止まった。ひっかかりを覚えた。

「無夢」
「あわせ、ありがとう。また会えるといいな」

落ち着いて、地に足つけず無夢も扉の向こうに消える。術者がいなくなり扉も溶けるように消滅した。

残されたあわせは、言いそこねた言葉と共に置き去りにされて、途方にくれた。