三つ首白鳥亭

架空都市

9.あとがきという名の蛇足

現実離れしている。

今日の波うつ海を表現するなら、そうとしか言いようがなかった。

「穏やかすぎる海は落ち着きませんね」

人気のない浜辺で男は続けた。腰まである金髪、日本人らしからぬ容貌。長身の青年は、どことなく猫に似ていた。

「架空都市を連想します」

男はわざとらしく腕組をした。

「脱出するのは大変でしたよ。サイにも見捨てられましたしね」

男は自分で機嫌を悪くした。

「結果的には無事でしたけどね、必死でしたよもう。こっちの世界で架空現実につかまったらどうなったのか、ぞっとしますね」

本当に大変でした。ひとりで熱く語る。

「サイはひねくれていますし、いくら私が専門家といっても初めての場所です。せっかく助けにきたはずのサイは自分で帰ってしまいましたしね」
「それはあたしに」

空から声がした。高台からじっと聞いていた人物が、壁に手を当て砂浜への階段を下りる。

「言っているの」
「当り前じゃないですか。私に独り言を言う趣味はありませんよ」
「ずっとあたしを待っていたの。くるかどうかも分からないのに」
「いいえ」

今は人の姿、どこから見ても人間そのものである青年は否定をする。

「ただ、こんな時だけです。よく晴れていて風が気持ちよく、泣き出しそうになるくらいいい天気の時だけです」
「グラディアーナがこっちにいるなんて思わなかったわ」

高野サイは松葉杖を持ち上げた。

「無事だったのね。あれっきりだからてっきり迷子になったと思っていたわ」
「なっては私が困りますよ。あなた人ごとのようになに諦めているのですか。あなたから見捨てておいて」

早口になった。洒落にならない程度には危なかったのだろう。

「グラディアーナなら大丈夫と思っていたわ。実際大丈夫だったのね」

歩きにくそうだったが平然としている。グラディアーナの全身をさっと眺める。

「猫人間じゃないのね」
「あの姿で出歩いたら大騒ぎですからね」

サイこそと、グラディアーナはいたずらっぽく笑う。

「ひどいですね」
「無理を言って退院してきたのよ」

まだギブスはとれていない。足の代わりに松葉杖をつき、左腕も石膏で固定したままだった。もちろん服装も体の状態に合わせて脱ぎ着替えが簡単な、大きな寸法の服を着ている。服の下にも包帯の白がちらりと見える。頬にさえ大きなガーゼが張りついている。素人目で見てももっと入院するか、せめて家で安静にすべきだった。

「思った以上に重症ですね。あれから日数は経ったのですが」
「大谷夏輝にはもう会ったわ」

サイは話を切り替えた。

「思った以上に心配をかけていたみたいだった。悪いことをしたのね」
「サイほどではありませんけど、一条は夏輝にとっても仲のいい人だったんだ。泣きわめくくらいはしてもよかったのにできなかった。サイがひどかったから。落ちこみきっているところにサイまで事故にあったときたら、涙くらいは出ますよ」

夏輝は感づいていた。サイと一条の関係に。うっすらとだが、危うい気配に。

「おかしさが私に伝わって、介入するきっかけとなりました」
「物好きね、グラディアーナは」

グラディアーナが肩をすくめた。

「サイが人の姿をした私を見抜くとは思いませんでした」

グラディアーナにしては珍しく、素直に驚嘆した。

「では、さよなら」
「ええ」

サイは引きとめず、グラディアーナはサイが降りてきた階段を逆に歩く。あっさりした別れだ。

ふと元猫人間は振り返った。戦友の背中へ片目を閉じる。

サイにはこれから会う人がいる。邪魔はできなかった。